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Posted by : 事務局

事後法の禁止

 刑法の大原則に罪刑法定主義がある。犯罪と刑罰は,予め法律によって定めなければならないという近代刑法の大原則である。すなわち,いかに処罰すべき行為であっても,それが,事前に法律(国会で制定される法形態)により,犯罪として規定され刑罰が定められていなければ,処罰することができない。国家による刑罰権の濫用を防ぎ,国民の行動の自由を保障する憲法上の要請である。

 最近,刑法の問題ではないが,これと似たような事件が起こっているようだ。文科大臣が大学設置審議会による設置認可の答申を受けながら,認可をしなかった。大学の設置については,まず,文科大臣は,審議会に諮問しなければならない(学校教育法95条)。その諮問を受けて,いわゆる設置審が,経営的側面,研究・教育的側面の両面からそれぞれの分科会で,法令(大学設置基準等)の基準を満たしているかどうかを審査する。もちろん,最終的に認可をするのは文科大臣であり,設置審の結論に拘束力はないだろうから,設置審が認可という結論を出しても文科大臣が不認可とすることは可能であろう。問題は,その理由にある。今回文科大臣が不認可とした理由は明らかでないが,大学の新設すべてが不認可になった事実を考慮すると,報道されているように「大学の数が多すぎる」ということにありそうである。はたして,このような理由で審議会の結論を否定することが許されるのだろうか。

 大学の設置申請は年度ごとに行われる。平成24年度の申請については,設置基準を変更するなどの告知はなされていない。つまり,文科大臣は,平成24年度の申請について,従来通りのルールによると決めたことになる。また,大学設置・学校法人審議会令によって,文科大臣は設置審の委員を自ら任命している。文科大臣の審議会への諮問には,全国の大学数が適切かという項目があるはずがない。しかも,大学の数は,平成24年度の申請を受け付ける前に分かっている事実である。それにもかかわらず,文科大臣は平成24年度の申請を受け付けた。その結果,当事者に大きな負担をかけさせておいて,最初から分かっていた理由で不認可とする。これでは,後出しジャンケンではないか。なお,大臣が代わっていることは,この際問題にならない。なぜなら,認可の権限をもつのは,文科大臣という期間であり,文科大臣誰それという個人ではないからである。

 ちなみに,大学の数が増えたのは,設置基準の大綱化(平成16年)による弾力化の影響ともいわれている。これを見直し関係法令を改正するという方針自体に問題はないが,現在の法令は,この大綱化に基づいている。現行法令に沿って申請を行い,現行法令による基準を満たしていると法令による審議会が答申を出しているものについて,法令を改正する必要があるから認めないというのでは,事後法の禁止と似たような国家権力の濫用が垣間見られそうだ。また,審議会の構成にも問題があるとのことであるが,自分で任命しておいてメンバーが悪いというのだろうか。それとも任命したのは自分ではないというのだろうか。後者であれば,機関としての権限を個人の権限と誤解していることになり,民主主義の危機であろう。法治国家ならぬ政治国家(こんなことばがあるのかどうかは知らないが)になり果てるのだろうか。今年度の申請は,従来通りのルールに則って審議会の結論(問題がなければ)を受け入れ,次年度以降の問題として検討すべきものである。教育は,将来の日本を支えるもっとも重要な基盤である。権限を振り回す者が教育政策のトップにいるとしたら,日本の教育の将来は暗い。(丸山)

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